No.0142
ない と 黒 について
またもや感想文のようなものを。
先日、さつかわゆん さんの個展「なにもないところ 」を見ました。
前回のブログに書きましたが、私は展示の感想は多分書けません。
その展示で、作品の前で私が一方的に何を思ったか、考えたか体験を書きます。
予め、ご了承ください。
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「なにもないところ」のDMを手にしたとき、またブログを拝見したとき、苦い思い出がフラッシュバックしました。
もともと楽しみにしていたのですが、更に見たいと思いました。
下記、本題に入るまで少し話がそれます。
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大学三年の夏に 夏の集中講義 とゆうのがありました。
夏休みの必須科目、小さなホールに系列の学生がひしめき 3日間(土日返上のため5日間、殆ど寝ず)ディスカッションをして、最終日得たことを上演方式で発表する。
考え方、企画書に先生方のOKが出ないと次の段階に進めず、発表させて貰えない。
私にとって卒論ゼミの次に 頭と身体がえぐられてヘロヘロになった講義でした。
表向きは「何故、働くのか?」とゆうことを軸に話し合う講義。
でも其れは本当の狙いではなく、前提、常識、価値観、言葉、概念を一度疑い、ズッタズッタに壊させるとゆうようなことだったのでは と思う。
「働く」「仕事」とゆう確固たる意味合いのありそうな言葉のもつイメージを最初の2日間でズッタズッタにされる。
それがそういう意味と思ったのはいつ?本当に自分の考え?何処かですりこまれていないか?常識?常識とは?我が物顔で言葉を使った途端、総攻撃を受ける。
次第にその言葉が指してるものがグニャグニャにされてゆく。
そして、私たち(先生)の言葉を信じるな と言われる。
着地は許されず常に宙に浮けと言われる感じ。
(今思うと ここで宙に浮けるか頑固に他人の言葉にしがみつくか 考えることから逃げるかで その後の考え方はだいぶ違ったんだろうと 今は思う)
自分の考えていることを借り物ではない自分の言葉にして誰かと共有し、今度は皆に判って貰える形式に置き換える。
こう書くとスマートだけど、ドロドロジトジトした五日間だった。
其処で私たちの班が最初に言ったことは「からっぽ」とゆうことだったと思う。私たちはからっぽです。と。
なにもない。「どうせからっぽですから〜」とゆう投げやりな話ではなく、追い詰められて、何も持っていない気がしてしまった。
それをまた先生方に突っ込まれる。
本当に無いのか?生まれてこのかた、ずっとからっぽか?そんなのふざけている、本当にからっぽなら終わっている、というような事をもっときつめに言われたんではなかったろうか。
確か、其処で私たちは「もっているもの」が何か整理できず、何なのかが自分で判っていない とゆうようなことを考えた と記憶してる。
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ゆんさんの展示の説明を読んでそんなことがフラッシュバックした。
多分、作家の考えとは誤差があると思う。だけど、あの夏、友達とノートをごちゃごちゃにして自分をズタズタにして白目向きながら到達した考えにこのひとは一人でたどり着いたのかしらと、また違う結果なのかと興味をもった。
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話は展示されていた作品に戻ります。
人通りの多い廊下の、たった二面に大小の作品がびちっと並んでいました。
横にはテントが張られ、中では展示を読み解くためのヒントのようなアニメーションが流れていました。
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飾られた作品の殆どは背景が黒い。
なにもない(ように見える)ところ の真ん中に、一つのモチーフ(とその周辺)が出現している。
その絵で真ん中にあるものが主役なのか、それとも暗闇を見たら良いのか、多くの人が行き交う初日、私は判らなかった。
仕事のあとに再び訪れ、何かを自分に引き寄せようとした。
他人の作った 判るか判らないもの、きっと分かりやすく提示されたものを 自分に自分のアプローチで引き寄せて咀嚼してみる。
光力の弱い懐中電灯を持って、暗い部屋の中を歩いているような感じ。
ふと小川洋子の短編を思い出す。
または手品師の手元のクローズアップ。顔の見えないマジシャン。
『つむじ風食堂の夜』を思い出した。
暗闇の中、其処には気球が、横には割れたドームが、緞帳から無数の脚が、その横には電球が…
絵で別れていても其れらは同じ場所にあるような。
ライトが当たって中央にぱっと現れたような印象。
一つの絵の黒い背景となった部分には確かに何もないけど、在る。
一つ一つしか照らせない。
一つ一つを丁寧に確認するような感じ。
そんな事を妄想して、きっと解放/開放されたイメージを前に勝手に行き詰まって少し涙が出そうになった。
あの時、この絵をみていれば、私は少しだけ先に行けただろうかとか。
なあんも判らなかっただろうかとか。
それは恐らく作家の意図とは違うだろう。リンクした部分もないだろう。
だけど、私は其処で私を知れて何だか救われたような気がした。
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また、ひとつの絵が見初められ旅立ってゆくのを傍観していた。
モチーフにそのひとが寄り添ってゆく、そしてその絵の中の出来事を自分の出来事にしてゆく。そんな風に見えた。
きっとそんな余白がある作品たちなのだろうと思った。
だらだら書きましたが、良かったのです。私にとってあの時間は。
おしまい。





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